どんなに自分が正しいと信じていたとしても、人に対して正しさを主張し続けるのは人間関係が上手くいかなくなります。
正しいことなんだから、主張してもいいんじゃないの?
そうだよね、間違いを正すのはその人のためでもあるよね
たしかに、悪いことではないです。
間違えている人に対して、「それは間違っているよ」と教えてあげるのは親切です。
しかし、論破というのは少し意味が違います。
論破とは、自論で相手を抑え込むことです。
最近よく耳にする「論破」という言葉は、自分の主張で相手をやり込めたという時に使われています。
正論を突き付けて、相手を論破したがる人の心理について考えてみました。
論破したがる例
ある共働き夫婦の話です。
家事能力の低い夫は、フルタイムで働く妻に比べて家事負担率が少なくても仕方ないと考えていました。
お互いに仕事をしているのに、家事負担は妻の方に重くのしかかります。
結婚する時には
お互いに協力しようね
と言っていたのに・・。
妻は不公平を感じるようになり、夫へその気持ちをぶつけます。
同じように仕事をしているのだから、
家事は平等に分担すべき
妻の言い分はもっともで、正論なのです。
家事は女性の役割という考え方が、夫の頭の中にあり、甘えているのではないかと妻は夫を諭します。
夫がそれを素直に反省して、今後は妻だけに負担をかけないように家事も上手くなるように努力すると約束しました。
ところが、そんなにすぐに家事能力が上がるわけもないので、夫は何度も失敗します。
そうなると、妻は正論で夫を追い詰めていくのです。
正しいのは妻の言い分ですが、夫が努力していることを認めずに、失敗した理由を探り続けて夫の言い訳を切り捨てて論破するのです。
このような夫婦はよくあるケースです。
正論で相手を論破したがる人とパートナーになると、やがて自分を守るために離れるしかなくなってしまうのです。
論破したがる心理
論破したがる人は、自論は正論であるという頑固な考え方があるのは大前提です。
ですが、正しさで人を追い詰めてしまうのは、人間関係を上手く作ることができなくなってしまいます。
論破されて喜ぶ人なんて、滅多にいないはずですから。
きっと、論破したがる人は、それまでの人生でも多くの人間関係を失ってきたのではないでしょうか。
それなのに自論を正論として、相手をとことん追い詰めてしまうのは、自分の価値を失う怖さがあるのでしょうね。
論破することで、自分の価値を高めているのです。
論破したがる人は、負けたくないのです。
もしも自論が正論ではなく、単なる屁理屈で相手を言い負かしたとしても、負けたくない気持ちが強いのではないでしょうか。
負けてを認めてしまうと、それで自分の価値が失われると考えてしまうのが心理ではないかと考えます。
論破が招く結末
前述の例のように、正論で夫を言い負かしてばかり入れば、そのうち夫婦の間は冷え切ってしまうでしょう。
夫は妻から離れたがるのも仕方ないと思います。
しかし、論破したがる妻の本心はそうではないのです。
嫌いだから論破するわけじゃなく、自分の価値を守りたいだけなので、別れる結果になるのは本望ではないはず。
論破することで相手を追い詰めていては、どんな人間関係も壊れてしまうのは目に見えています。
正しさを主張するのは間違いではないけれど、完璧な人間なんていないのだから、譲歩したり、妥協点を見つることが大切ではないでしょうか。
まとめ
論破したがる人の心理は、自分の価値を下げたくないからだと思えば、少し心に余裕をもって対応できるでしょう。
そして、相手を論破しがちな人は、自分の価値は人を言い負かすことではなく、自分自身を高めることだと気が付けば、変われるのだと思います。
簡単ではないですが、自分を冷静に客観視できるように努力できるといいですね。