人の気持ちを考えすぎてしまう人間にとって、「人に嫌われるのなんて平気だから」と言い切れる人って、ちょっとうらやましいです。
感受性が強いと、人の気持ちを考えすぎてしまうので「こんなこと言ったら傷つくかな」と思ってしまいます。
嫌われるのが怖いというよりも、人を傷つけるのが怖い方が強いのですが、結果的には同じなのかも知れませんね。
そういうHSPタイプの人間にとって、自分の意見をズバズバ言って、周りから嫌われても気にしない人はすごく強く感じます。
ほんとうに「嫌われても平気だから」という人は、強いハートの持ち主なのでしょうか。
そういう人は、もともと嫌われても平気だったのか、それとも何かきっかけがあってそうなったのか。
もしも頑張って「嫌われても平気」な人になったのなら、その方法を知りたいと思ってしまいます。
「嫌われても平気だから」と言える人の強さについて、一緒に考えてみましょう。
嫌われても平気な人の特徴
嫌われることを怖がらず、自分の意見を押し通したり、人を批判できてしまう人の主な特徴を見てみます。
好感度に興味がない
人気を気にする芸能人でもなければ、好感度の調査なんてありませんから、自分の好感度なんて知ることはできません。
ですが、人に嫌われるのを怖がったり、人の気持ちを考え過ぎてしまう性格の人は、何となく自分に対する人々の好感度を察知しようとしてしまいます。
「嫌われても平気だから」とサラッと言える人は、自分に対する人々の交感度など感じません。
興味がないのが一番の理由ですが、そもそ空気を読もうとは思わないのです。
自己肯定感が強い
他人からどう思われても気にしない人は、自己肯定感が強い傾向があります。
自信を持っているので、何を言われても気にならないのです。
その自信はもともと備わっていた可能性が高いので、育った環境によっても影響を受けるのではないでしょうか。
たっぷりの愛情に包まれて、どんなときにも味方になって支えてくれる大人に育てられれば、自分を否定するような気持ちにはならないのだと思います。
無駄が嫌い
「周りの人はどう思うかな」とか「自分は間違っているかも知れない」と考えて、何かあるたびに立ち止まってしまえば、行動するきっかけを失ってしまうこともあります。
「嫌われても平気だから」と言う人の多くは、時間の無駄をとても嫌います。
クヨクヨと考えて立ち止まってばかりいるよりも、失敗も覚悟の上で挑戦した方が良いと考えるからです。
もしもそれで失敗したとしても、反省してまたやり直せばイイだけだと切り替えられるのでしょう。
終わってしまったことよりも、先のことを考えているのではないでしょうか。
嫌われても平気になるきっかけ
嫌われても気にしないのは、もともとの性格の人が多数派です。
ですが、今までの人生で何かきっかけがあって、嫌われても平気になった人もいます。
幼少期の体験がきっかけだった場合は、自分の記憶にないかも知れません。
ですが、人の性格に影響するようなきっかけなので、きっと脳裏には焼き付いているはずです。
どのようなことがきっかけで、嫌われても平気になるのでしょう。
好きな人に嫌われた
嫌われても気にしなくなる大きなきっかけは、とても好きな人に嫌われてしまった経験が関係していることが多いようです。
子供の頃に好きな人から嫌われて、強いショックを受けてから、嫌われることに心が反応しなくなってしまうことがあるのです。
自分を守るために、嫌われても平気だと思い込ませてしまったのだと考えられます。
嫌われてラクになった
大人になってから「嫌われても平気になった」という人は、嫌われたことを自覚した時に、気分が軽くなったように感じたと言います。
嫌われないように努力を続けていても、人間には合う合わないがあります。
嫌いなわけじゃないけど、苦手なタイプもいます。
また、好きでもないけど嫌いでもないという人もいます。
それは誰にでもあることです。
好かれる努力を続けても、全ての人から好かれるのは不可能だと気が付けば、とてもラクに生きられるようになるのでしょう。
好かれる方が怖い
好きな人に対する気持ちは、そのままどんどん増すことは滅多にありません。
恋愛にも通じることです。
自分に対して「好き」だという気持ちを持ってくれていた人が、どんどん遠くに離れてしまうのは怖いでしょう。
好かれるから嫌われるので、最初から好かれようと思わなければ嫌われたとしてもショックを受けることもないと考えるようになるのです。
わざと嫌われるような態度で人と接して、本当の自分を好きになってくれる人を振り分けているのかも知れませんね。
まとめ
嫌われても平気な人の心が、鋼のように強靭かどうかはわかりません。
もしかしたら、表面だけ強さを装っているかも知れませんから。
ですが、人に嫌われることを恐れないで生きる方が、自分らしさを失わないのでしょうね。
人の気持ちを考えすぎて、自分を見失ってしまうよりも、嫌われても自分らしく生きられる方が良いのではないでしょうか。