人に言われて嬉しかったことは、心に残しておきたいものです。
その言葉が、苦しいときやツラいときの励みになることもありますからね。
ですが、なぜか人は嬉しい言葉よりも批判や否定されたツラい言葉の方が記憶に残りやすいものです。
なかには批判や否定の言葉がいつまでも頭から離れずに、自分を苦しめてしまう人もいます。
なぜ批判や否定の言葉が忘れられないのか、その理由を考えてみましょう。
批判や否定を忘れられない理由
自分に対する批判や否定を忘れられない理由としては、大きく3つの理由があると考えられます。
どれに当てはまるか、それとも全く的外れなのか、チェックしてみてください。
自分のためだと思っている
まず、人から言われたことは何でも真面目に聞かなければいけないと思っている人は忘れられません。
なぜなら、批判や否定もすべてそれは「私のために言ってくれているんだ」と思ってしまうからなのです。
注意する方もツラいはずなのに
私のために言ってくれるのだから
こんな受け止め方をする人は、基本的に真面目で人にやさしくて、思いやりがあり、人の気持ちになって考えようとするのではないでしょうか。
すべては自分のために言ってくれることだから、ひと言も聞き逃さずに記憶しようとしてしまうので、忘れられるわけありませんよね。
自分のせいだと思っている
前項と少し重なる部分もあるのですが、さらに自己肯定感が極端に少ないタイプは、批判や否定はすべて自分に原因があるからだと思ってしまいます。
私がダメだから
厳しいこと言われるのも
しょうがないよな
こう考えてしまうので、ひとつの言葉を自分の心に突き刺したままにしてしまうのです。
どうせ…私なんて…言いがち、思いがちな人は否定も批判の言葉を自分の中に蓄積させてしまうのです。
極度の負けず嫌い
最後はこれまでと少し違います。
批判や否定を自分のエネルギーに変換するタイプの人は、あえてそれを記憶として残すために日記に書いたりします。
このタイプはネガティブな意味で忘れられないわけではないので、あえて忘れようとする必要もないため問題ありません。
ただ、自分を奮起させるための燃料にするだけなら問題ないのですが、言った人物に固執しないように気を付ける必要があります。
そこにこだわり過ぎると、言葉じゃなくて人物に固執してしまうと人間関係を複雑にさせるので気を付けましょう。
言葉の責任について
批判や否定の言葉をすべて真面目に聞く人、またそれは自分が悪いからだと思ってしまう人は、少し自分を振り返ってみましょう。
誰もが発する言葉に責任を持たなければいけませんが、実際にはどうでしょう。
それは自分自身にも言えることではないでしょうか。
日常の会話の中で、何気なく言っている言葉も受け止め方によっては批判や否定に聞こえます。
誰もが他人の心に深く残るような言葉を発しているという責任を持っておしゃべりしているわけではないのですよね。
もしも否定や批判が心に深く突き刺さってしまったのなら、その時の前後の会話も思い出してみてください。
意外とどうでもいいことを話していることもあると思いますよ。
まとめ
批判的、否定的な言葉が頭から離れない理由を考えてみました。
負けず嫌いなタイプで「ぜったい見返してやる」というエネルギーに変えられるのなら、それもアリだと思います。
そうじゃないのなら、人は意外と無責任に批判や否定的な言葉を発するものだと思って、聞き流せるようにトレーニングしましょう。