良い人になろうと日頃から心がけているのに、なぜか自分は周囲から嫌われたり、疎まれたり、軽視されているような気がする・・・。
そんなことを感じてしまうのなら、「良い人」になろうとする方法が間違っているのかも知れません。
相手のためになると思ったから、相手が喜ぶと思ったからと、自分では良かれと思っていることでも、もしかしたら間違っているのではないでしょうか。
「良い人」になろうと心がけているのに、嫌われてしまう人には、じつはある共通点があるのです。
詳しく見ていきましょう。
相手の考えに合わせてしまう
会話をしていると、自分と同じ考えの人や、価値観が合う人だと盛り上がりますよね。
共感は距離をグッと近づけます。
だからといって、自分の考えや意見とは違うのに、嫌われたくないから相手に合わせてしまうと、それは表面的なことでしかありません。
ビジネスシーンでは、相手に合わせることも必要かも知れませんが、それは表面的な浅い人間関係ならそれでいいのです。
しかし付き合いが長くなると、相手の考えに合わせているだけなのは徐々に見えてしまいます。
深い会話ができないし、広がりもありません。
映画が好きなんです
私も映画好きですよ
そうなんですか!
趣味が合いそうですね
嬉しいです。
仲良くなれそう!
初対面の会話なら、これで問題ないのですが、ほんとは映画にはあまり興味がないのに、相手に合わせただけだとすれば・・・
映画好きって言ってたけど
どんなの観るの?
う~ん、色々
話題になったのを観るよ
最近は何観たの?
私は先週、○〇を観たわよ
最近は忙しくてあまり観てなくて
○〇は面白かった?
こうして何とか相手に合わせて会話を続けようとしても、徐々に見透かされてしまうでしょう。
相手に合わせるだけではなく、自分の意見や考えを持っている人のほうがお互いのことを知りたくなるので盛り上がるのです。
無理に合わせているだけでは、徐々に会話も弾まなくなり「何となくあの人と話していても退屈」と思われてしまい、避けられる存在になってしまうこともあるのです。
ネガティブな報告をする
全ての人から好かれていて、誰一人としてその人を悪く言わない・・。
そんな完璧な人間がホントにいるのかどうかわかりませんが、誰もが好き嫌いがありますから、どんなに良い人でも好感度の高い人でも、その人のことを悪く見ている人間もいると思います。
考えてみましょう。
もしも自分の悪口を言っている人がいたとしても、それが自分の耳に入らなければ別に気にすることもありませんし、そもそも知らないのですから幸せです。
ところが、わざわざ「○〇さんがあなたの悪口言ってたわよ」と耳に入ってしまったらどうでしょう。
知らなかったときには気にならなかったのに、聞いてしまった後は自分の悪口を言っていた人間の存在が気になってしまい、ストレスを感じるようになってしまいます。
良かれと思って伝えたことでも、それは結果的にその人に悪影響を及ぼしてしまいます。
人間は無意識のうちに自分を守ろうとする防衛本能が働きますから、わざわざ陰で言われていることを伝えるような存在からは遠ざかろうとするのです。
無理をして人にやさしくする
人にやさしくするのは良いことです。
しかし、自分を犠牲にして、自分のことを後回しにしてまで人にやさしくするとどうなるでしょう。
自分に余裕がないのに嫌われたくなくて、好かれたくて人にやさしくしたとしても、結局は見返りを求めてしまったり、自分の負担や苦労を誰かに知って欲しくなったりしないでしょうか?
人間は持ちつ持たれつ、ギブアンドテイクじゃなければバランスが崩れてしまいます。
恩着せがましくなってしまうんですよね。
人にやさしくできるのは、ある程度の余裕が必要だと思います。
見返りを求めないやさしさを提供できるのは、完全なボランティア精神を持っていないと無理なのではないでしょうか。
余裕というのは、心の問題、時間の問題、お金の問題など色々です。
人にやさしくするのは、好かれたいという見返りを無意識に求めているのですが、それが得られなくても仕方ないのです。
頼まれもしないのにやさしくしているのですから、望み通りの見返りを求めなくても気にならないほどの余裕が必要なのです。
余裕のない状態で人にやさしくしてしまうと、どこかに歪みが生じてしまい「あの人はめんどくさい」と思われてしまう原因になってしまうのでしょう。
まとめ
自分は嫌われるようなことはしていない・・と自信を持っている人はここまで読んでいないでしょうね。
なぜ好かれないのか、なぜ嫌われてしまうのか、少しでも思い当たるという人はかなり多数ではないでしょうか。
3つのこと、頭の片隅に置いて行動すると変われると思います。